親ガチャという前提

書く冒険への誘い

親ガチャという前提

自分史を書く003

ネットスラングの「親ガチャ」という言葉をはじめて聞いたときは驚きました。

確かに置かれている環境は人それぞれであり、ハンディを負っていると思う人はもちろんいるでしょう。そういう人に「それでも可能性を追求しろ」とか「がんばらずにどうする」とか、言うつもりはありません。大変な環境に生まれたなら、それなりに大変であろうことは想像できます。

だから、大変な環境に生まれた人に、無理強いしようとは思いません。「願えば叶う」とか、「意思は通じる」とか、言ってみたところで仕方ないことです。僕たちはみんな、将来をどう考えるのか、それは自由なのです。

「私は親ガチャのおかげで、○○ができない」と考えるのは、その人の自由です。

一方で、「私は親ガチャのおかげで、○○できない状況にあるが、それを打破してみせる」と考えるのも、その人の自由です。

このサイトを読みに来たあなたは、きっとどんな深刻な親ガチャに見舞われていても、それを跳ね返そうとしているのだろうなと思います。そのためにはきっと、お手軽な答えではどうにもならないのでしょう。そういう難しい課題に挑む心意気があるのであれば、いろんなんところにそれを解決するためのヒントが見つけられるかもしれません。自分の立場は自分で考える必要があるのです。わざわざ書く冒険をしなくても、人生は生きているだけで冒険です。

「じゃあ、書く冒険ってなに?」と聞こえてきそうです。人生という冒険をいろんな角度から、深く味わうためのノウハウと言えるかもしれません。書くことによって見えてくることは無限にあります。新たなことをひとつ見つけたら、そこからまた新たな謎が生まれます。そうやって永遠に続けてどうするのか? この答えを簡単に出すのはもったいないと感じます。あなたはどんな答えを出しますか? ヒーリング・ライティングで出されるエクササイズを超えて、あなたにしか出せない答えを出していって下さい。

Tags: ,

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です