書く冒険へ出発

書く冒険への誘い

ヒーリングらしくないヒーリング・ライティング

「ヒーリング」というと、たいていは受け身的なものを思い浮かべる方が多いと思います。たとえば、オーラを調整してもらったり、香りで癒してもらったり、心地いい状態を誰かに作ってもらってそれを体験することで癒されていく。ヒーリング・ライティングはそれらとはまったく違ったアプローチをします。 

「癒されたい」と思った人が、自分の心に積極的に関わっていくのです。「そんなことで癒されるのか?」と思う方もいるでしょうけど、ヒーリング・ライティングはそういうものです。しかし、どうしても「ヒーリング」というと、受け身的なものを思い浮かべる方が多いので、そうではないことを伝えるためになんと言ったらいいのか考えました。そして出てきた言葉が「書く冒険」です。 

まず、ヒーリング・ライティングは、ご本人が「やる」という覚悟がない限りできません。冒険は、誰かに巻き込まれて仕方なくやる人もいるかもしれませんけど、それを継続するにはやはり覚悟が必要でしょう。ヒーリング・ライティングも何かのきっかけで仕方なく始めることがあるかもしれませんが、本人に覚悟がない限り続けることはできません。 

冒険にはスリルがつきものですが、ヒーリング・ライティングでは書いていくうちに以前には知らなかったことを発見していきます。それがスリルとなります。どんなスリルを感じることができるのか、例を上げてみますね。 

穴掘りの話

僕は小学校に上がる頃、変な遊びが好きでした。それは「穴掘り遊び」です。庭にただただ穴を掘っていくのです。いったいそれの何が楽しかったのか、大人になってそれを思い出すと「馬鹿なことしてたなぁ」としか思えませんでした。庭には洗濯物を干してありましたから、夕闇に包まれてから母が洗濯物を取り込みにいったりすると、僕の掘った穴に足を取られて転んだりしていました。そして母に「なんで庭に穴なんか掘るの?」と文句を言われました。そう言われて幼い僕には「面白いから」としか答えられませんでした。 

それから何年もたち、僕自身がヒーリング・ライティングを始め、そのエクササイズとして「気持ちいいもの」を書いていました。いろんな気持ちいいものを書きました。そのなかにこの「穴掘り」がありました。 

穴掘り 

小学生の頃、近所の友達と庭で穴を掘った。 

特に理由はない、ただ穴を掘った。 

大きなシャベルで庭のあちこちに穴を掘った。 

母が夜になってから洗濯物を取り入れに行くと、あちこちで穴につまづいた。 

なぜだか穴掘りが楽しかった。 

たくさん掘った庭で隆くんと豊ちゃんと一緒に写真を撮ってもらった。 

これを書いてしばらくして、父の思い出に関して書いていると、ふと気づいたことがありました。 

父は樺太に住んでいましたが、戦争となり学徒動員で兵士として駆り出され、訓練を受けていざ出陣というときに終戦になりました。樺太に帰ろうとしましたが、そのときにはソ連が占領していました。ソ連の侵攻が始まる直前、樺太にいた祖父は、父の保存していた本を箱に入れ、砂浜に埋めたそうです。「ケン(父のこと)の大切な本をソ連の奴らに持っていかれてたまるか」というようなことを言っていたそうです。それからしばらくして患っていた胃を悪くして亡くなったそうです。そしてソ連が攻めてきた。 

このような文章を書いているうちに、僕が庭で穴を掘っていたことと、祖父が砂浜に穴を掘っていたことと、何か関係があるのではないかとふと思いました。それは、時間的にも場所的にも、全然関係ないこととは思うのですが、もしかすると僕と祖父が何かで響き合い、それをさせられたのではないかと思ったのです。それは突飛な考えで、証拠があるわけでもなく、科学的にはちっとも正しくなく、単なる考えでしかないと理解できるのですが、そう思うことでなぜか気持ちが落ち着いたのです。 

気持ちが落ち着くというのは不思議なもので、たとえば、亡くなってしまった誰かに対し、どんなに叫んでも届きはしないと知っていながら、つい仏壇の前で何かを話しかけてしまったりするものです。 

最近はスピリチュアルな人が「霊は存在する」とか「死んでも人は生きている」とかおっしゃるので、そのような考えを信じている方には不思議でも何でもないのかもしれませんけど、僕にはそのあたりが微妙です。霊はいるかもしれないし、いないかもしれない。そこが曖昧でも、死んでしまった大切な人に話しかけるのは、心が落ち着いたりするのです。 

この穴掘りに関して、祖父と僕の関係を見つけたのは、文章を書いていたからにほかなりません。もし書いていなかったら、幼い頃に穴掘りしたことも、祖父が砂浜を掘ったことも、関係付けて思い出さなかったでしょう。こういう発見が書く冒険のスリルなのです。書いたあとで「えっ?」と思う。 

「書くこと」による冒険

「書く冒険」という言葉でヒーリング・ライティングを表現しようと思い、ネット上で同じような言葉や表現がないか調べました。するとありました。『「書くこと」による冒険』という論文です。こちらです。

この論文ではカフカがどのように小説を書いたかが説明されています。カフカは推敲などはほとんどおこなわず、一気に小説を書いたそうです。中断せずに小説を書き上げることで、書いている本人もその物語の先を書きながら気づいていく。そのような書き方に価値があると思っていたそうです。この論文の最後にこう書かれています。 

カフカの書いてきた長編は、どれも到達不可能なものを追い求めている。だから、それぞれの作品は、主人公の勝利では終わっていない。しかし、それは単なる敗北ではない。カフカは、繰り返し何かを探求する主人公の姿を描く。それは、主人公たちの戦いの過程こそが大事であることを示し、そしてそれは「書くこと」という行為自体を求めたカフカ自身の態度とも重なるものであると考えられる。カフカの長編は、どれもいつまでも終わりのないものであるように、カフカが求めていたのは、作品の完成、つまり何かに到達することではなく、戦い続ける、あるいは書き続けるというその行為自体である。

『「書くこと」による冒険』 須藤勲著 から引用 


http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/forum/29/09.pdf

ヒーリング・ライティングの「書く冒険」も同様に、書くことではじめて気づく何かが含まれるようになっていきます。それは冒険に似ています。簡単に済ますこともできるし、どこまでも追求することもできます。どちらにするのかはあなた次第です。 

それは単に「癒される」というだけの体験ではありません。何かの達成感を得るような体験です。あなたの内面に深く分け入れば分け入るほど、達成感は大きくなっていくでしょう。 

ヒーリング・ライティングをおこなうにあたり、なぜこれをするのか、自分にとっての動機を考えて下さい。なんのためにヒーリング・ライティングをしようとしているのでしょう? いろんな理由があるはずです。「単なる興味」ではじめるのも悪くはないですけど、明確な動機があると、そこに向かって考察がしやすくなります。

たとえば、「文章が上手になりたい」「両親との関係を修復したい」「自分が思ったように話ができる人になりたい」「好きな人に自分のことをわかってもらいたい」「仕事が能率的にできるよう、コミュニケーション能力を上げたい」など、あなたにとって切実な動機であればあるほど効果的になります。あなたはどんな動機でヒーリング・ライティングに取組みますか? それを書いてみて下さい。書いた文章は保存しておいて下さい。そして、ヒーリング・ライティングが進むとともにその文章は更新していくのがいいかもしれません。

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