僕たちの未来はグレートリセット?

書く冒険への誘い

僕たちの未来はグレートリセット?

オメガポイントへの階梯001

未来はどこにあるのか?
僕たちの概念の上にしかない。

未来を正確に、今知ることはできるのか?
きっとできないだろう。

なぜできないのか?
まだ見ぬ概念が絡み合うことで、想像もつかない未来が展開するから。

未来の希望はどこにあるのか?
まだ誰も正しく知ることができないという点に希望がある。

オメガポイントとは、人類が行き着くであろう究極点。その究極点がどのようなものであるのか、推測してみる。もちろん、推測でしかないことは承知の上で。

そんなことにどんな意味があるのか?
もしかしたら、なんの意味もないかもしれない。だけど、一見すると何の意味もないことに、大きな意味が見出されることがある。たとえば、瞑想。ただ黙って静かにしているだけ。そのことにどんな意味があるだろう? いろんな人がいろんな意味を瞑想に与えている。それと同様、オメガポイントを空想することは、これから僕たちが生きていくための意味を与えることになる。それを多くの人々が作り合うことによって、豊かな未来が開けるだろう。

そのことが正しくなかったらどうするのか?
間違いが見つかる度に修正すればいい。人は宇宙のすべてを知ることはできない。空想できる範囲でしか、空想できない。空想できる範囲で空想すればいい。

いままでの「第一章 言葉と私」と「第二章 自分史を書く」は、自分のことだけを考えていればよかった。「第三章 オメガポイントへの階梯」は、自分のこと以外を考えなければならないような気がする。自分のことだけを考えていればいいのではないか?
確かに第一章も第二章も、自分のことが中心だった。だけど、他人や他の存在が登場しないわけではない。家族や友人や、会社の同僚なども書いた文章には登場したはず。人間はどんなに自分のことだけを考えようとしても、他人や他の存在との関係が思考の中に浮かんでくる。それなしには考えることはできない。第三章では、自分という概念の枠を拡張してみる。そのことではじめて気づくことについて書いていく。

僕たちは知らないうちに自分の枠を拡張している。メディアと関わることによって。言葉も基本的なメディアの一つ。

僕たちはニュースを見ることで、遠く離れた場所で起きていることを知っていると思い込んできた。しかし、ウクライナの状況を知るにつけ、何が真実かよくわからなくなってきている。それは新型コロナウィルスのことやワクチンに関してもそう。このような体験が自分の枠を拡張している。

自分の枠を拡張している最中に、その枠を意識できる人はほとんどいない。枠が拡張しきってからはじめて、「そんな枠あったかな?」と感じられるかどうか。

エクササイズ3-1
理想とする未来がどのようなものか書け。