何を思い浮かべますか

書く冒険への誘い

何を思い浮かべますか

言葉と私017

エクサイズ1-10

ある単語をひとつ決め、その単語からイメージされる言葉を次々と書いて下さい。ひとつの単語に最低3分。

ある単語は、どんな単語でもかまいません。「りんご」「たぬき」「からす」「宇宙」「神社」「ビーカー」「コップ」「ゲーム」「走る」「笑う」「瞬間芸」「銀座」「岡山」「デロリアン」「ジョーズ」「美しい」「見渡す」など、なんでもいいのです。

それらを最低3分、5分以上でやると面白くなるでしょう。長ければ長いほどいろんな連想が働きます。連想して出てきた言葉を書き留めていって下さい。

たいていは、決めた単語と、それをイメージして浮かんだ言葉には、誰でも理解できる何かのつながりがあるものです。しかし、長い時間連想したり、一般常識から離れないよう頭を使っている縛りが外れたりすると、思わぬ単語が登場します。そういう単語はそれを発した人の独特な思いや思い出があるはずです。なぜそのような言葉を発したのか質問すると面白い話が聞けるかもしれません。自分から出てきたそのような単語に対しては、なぜそんな単語が思い浮かんだのか自分自身に聞いてみましょう。あなたの特徴的な何かが理解できるかもしれません。

このエクササイズは多人数でやり、互いに最初のある単語を出し合いっこして、それからイメージされる単語を互いに見せ合って感じたことをシェアすると、いろんな気づきが生まれてきます。

エクササイズ10を実行したら、ずっと下を読んで下さい。

このワークは、最近ネット上でハッシュタグをつけるのに、みなさんやっていますね。こうやってメディアが発達することで意図せずともいろんなイマジネーションが生まれているんだなと感じます。

以下は拙著『ヒーリング・ライティング』からの引用です。

言葉の意味を浮き上がらせるもの

 迷彩服をご存じですか? 軍人が草原や密林で目立たないように着る服です。あの迷彩服を都会の真ん中で着ているとひどく目立ちます。目立たないように作られた洋服にもかかわらず、置かれる状況によってはとっても目立ってしまうのです。これと似たことが言葉にも起こります。普通ならなんでもない言葉が、状況によってはとんでもなくおかしなものに聞こえたり、残酷な言葉に聞こえたり、意味が違って聞こえたりするのです。

 例えば、こんなことがありました。友人と会社の食堂の話をしていたとき、ラジオからはニュースが流れていました。熱心に「あのソースはうまい」とか、「もっとうどんは量を増やして欲しい」なんて話をしている最中に突然ラジオから「お食事券」という言葉が聞こえてきたのです。ニュースに「お食事券」とは何か変だと良く聞くと、それは「汚職事件」のことを言っていたのでした。

 仲の良い友達のあいだで冗談のようにして「馬鹿」と言ってもたいした問題にはなりませんが、国会審議中に「馬鹿」と言ったら大問題です。「馬鹿」という言葉自体はまったく同じものなのに、それが使われる状況によって、その言葉の持つ意味が違ってくるのです。このような言葉の意味を違える諸要素を「言葉の背景」と呼びましょう。文脈と言っても良いのですが、場合によっては文のなかから生まれるだけではなく、歴史的背景や、その時々の文化的状況によっても変化していくものなので言葉の背景とします。

 言葉の背景は歴史的背景や文化的状況のほかにも「人間関係」「それまでに交わされた会話」「言葉の間」などでどんどん変わっていきます。また、言葉を聞いている人によっても違うものです。ですから大変つかみにくく、それについて議論することすら容易ではありません。しかし、それは確実に存在します。

 英語のことわざに「A rolling stone gathers no moss.」があります。日本語に訳せば「転石苔を生ぜず」または「転がる石には苔が生えぬ」です。意訳すれば「自分の職場や立場をころころと変える人はお金持ちになれない」というような意味でした。ところがこのことわざがアメリカに渡りその意味を変えてしまったのです。「いつでも動き、活動していれば、錆び付くことはない」という意味に変わったのです。ご存じのようにアメリカでは積極的に転職することが良いこととされています。そんな文化的背景がことわざの意味を変えてしまったのです。

 私たちは一人ひとり、まったく異なる文化状況や人間関係を持っています。ですから、同じ言葉でも人によって受け取り方が違うのです。あることがらに関して言った、言わないと喧嘩をしたことがありませんか。これも互いの言葉の背景から生まれた解釈の違いがもたらしたものであることが多いようです。

 たとえば、Aさんが急いである企画をBさんにたててもらいたい。Bさんは他の仕事で手一杯でできれば新しい仕事に手をつけたくないという状況があったとします。そこでこの会話。

A「忙しいとは思うけど、この仕事やってもらえないかなぁ」

B「あ、考えておきます」

 みなさんも似たような状況を体験したことがあるのではないでしょうか。Aさんはこの会話でもう企画を立ててもらえると考え、Bさんは企画を立てるか立てないか考えておくと言ったつもりになっているのです。そして数日がたち、AさんはBさんが企画を考えると言ったと主張し、Bさんはそんなことはまだ頼まれていないと答えるのです。

言葉の背景

言葉の背景はイメージを作る基盤となります。エクササイズ10で様々なもののイメージを書いてもらいました。そこに現れたあなたのイメージは対象物に関するあなたの言葉の背景を浮き上がらせてはいないでしょうか。

 たとえば、私がクリスマス・キャロルという言葉を聞いてイメージしたのはこんな言葉です。

   クリスマス・キャロル

寒い夜、一面の雪景色、ベッド、夜景、山下達郎のクリスマス・イブ、星空、リトル・ドラマー・ボーイ、クリスマス・ケーキ、テーブル、ナイフ、雪だるま、ステレオ、ミルキー、兄の部屋。

 私以外の人には、ここに並べられた単語の数々が悲しいものには読み取れないかもしれません。しかし、私がそれらを読み直すと悲しい感覚になるのです。みなさんも自分がイメージした言葉を読み返してみて下さい。どんな感覚が生まれますか? その感覚があなたの、その言葉に対する背景の一部なのです。何の文脈もなく、その言葉を聞いたときにあなたがその言葉から受ける印象です。

 さて次に、並べた単語を読んだときの印象とは違う印象を思い浮かべて下さい。クリスマス・キャロルで私は「悲しい」感覚になったと書きましたが、私の場合それとは違う感覚、たとえば「楽しい」とか「嬉しい」とか、「愛しい」とか「華やいだ」とかでも結構です。とにかく先ほどとは違う印象を思い浮かべて下さい。そしてその印象からさきほどの単語をイメージしてみて下さい。

 私は「楽しい」という印象とともに「クリスマス・キャロル」をイメージしましょう。

   クリスマス・キャロル(楽しい印象とともに)

クリスマス・ツリー、ツリーの輝き、学芸会、ジングル・ベル、プレゼント、雪合戦、キャンドル、教会。

 単語の印象、つまり背景の一部を変えることによってイメージされることが変わりませんか? 私はご覧のように変わりました。自分の言葉の背景に意識的であるというのはこういうことです。そしてさらに言えば、あなたが自分の言葉の背景に意識的であれば、様々なイマジネーションが生まれてくるということです。背景を次々と変えていけば、あなたは様々な言葉を思い浮かべることができるはずです。エクササイズ10では、自分が自動的に持たざるを得ない背景からしか思い浮かべられなかったイメージが、背景を変えることでどんどんと拡がっていくのです。

言葉の表現するものは言葉では伝えられない

 私たちは言葉が言葉の表現していることを伝えていると思い込んでいます。しかし、実際には違うのです。言葉は言葉の表現していることを思い出させるきっかけであって言葉の表現していることそのものではないのです。

 たとえば、目の見えない人に色を伝えることはできません。どんなに言葉を駆使しても「赤」がどのような色かは、その人が「赤」を見た体験がなければ伝わりません。

 先日私はバリ島に行きました。そこで友人がマンゴスチンが美味しいから食べてみろというのです。その友人はなんとかマンゴスチンの美味しさを話そうとするのですが、食べたことのないものの味というものはなかなか言葉だけでは伝わりません。実際にマンゴスチンを食べてはじめてその美味しさを知りました。マンゴスチンの甘さ、そしてその香り、さらには果肉の唇のような柔らかさが素晴らしいのです。食べたことのある人ならきっとこの文章でマンゴスチンの味を思い出していることでしょう。しかし、一度も食べたことのない人には「きっと美味しいんだろうなぁ」という程度にしか伝わらないはずです。つまり、言葉では言葉の表現しようとするところを伝えることができないのです。言葉は言葉を受け取る人の体験と結びついてはじめて言葉の表現するところが伝わるのです。

 私が幼いころ通っていた幼稚園では園児はみんな胸に名札をつけていました。言葉はその名札のようなものです。園児に会ってその子がどんな子かわかるようになれば、名札を見ただけでその子のことを思い出します。しかし、会ったこともない子の名札を見てもどんな子かはわかりません。あたかも子どもに会うことが「体験」で名札が「言葉」のようなものです。子供に会うことによって名札の意味するところがわかるようになります。その子のいろんな側面を見ることによってその子のことをより一層知っていきます。そしていつしか名札を見ただけでその子のことが思い浮かぶようになり、その時々の状況でその子がどんなことをするか想像できるようになります。つまり「体験」すればするほど「言葉」の意味するところが深く理解できるようになるのです。

「じゃあ、辞書は言葉の意味、つまり表現するところを伝えているのではないの?」と質問が聞こえてきそうです。辞書で伝えているのは「こうしたらそれが体験できる」ということを伝えているのです。たとえば広辞苑で「甘い」を引いてみましょう。するとそこにはこうあります。「砂糖・飴などの味がするさま」。これによって私たちは「砂糖をなめる」という体験を通して「甘い」の意味するところを知るのです。

 誰かが「痛い」と言ったとします。それがどんな痛みなのかはその言葉からだけではわかりません。そこでどこがどのように痛いのか、またはどんな風に痛いのかと聞くことによってその痛さを想像していきます。私たちは言葉をきっかけに想像力と記憶を頼りにその体験を創作しているのです。そして体験の創作に影響を与えるのが言葉の背景なのです。

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